東海道五十三次の旅・その1(日本橋~川崎)

2010年12月12日日曜日

[歩]東海道五十三次

t f B! P L
東海道五十三次の旅・その1
((S)日本橋(にほんばし)~(1)品川(しながわ)~(2)川崎(かわさき))
晴れ

ここ最近の私の旅は「とにかく遠くに行く」ことばかりにこだわってしまい,目的地までの道のりは「単なる移動」に過ぎないことが多々あり,「いつも通っているのに,細かいところまでわからない」ということが意外にあります.

そこで,今までの旅を見直すべく,現代版東海道五十三次の旅をすることにしました.
クルマや電車では何度も行ったことがあるので,今回の手段は徒歩です.
今までは一瞬で通り過ぎていたところも,ゆっくり歩いていけばいろいろな新しい発見がありそうです.

東海道五十三次とは,日本橋(現在の東京)と三条大橋(現在の京都)の間を,53の宿場を経由して結ぶ 492.1kmの道のりです.
現在の国道1号とほぼ同じですが,一部別の道になっていたり現存しない区間もあります.
なるべく「旧東海道」と呼ばれる道を歩いていくのが今回の旅の目的です.
もちろん,一気に三条大橋まで向かうのは日程的にも肉体的(笑)にも厳しいので,何回かに分けて少しずつ進んでいきます.
何回やるかわかりませんし,一生のうちに達成できないかも知れません.
体力は衰える一方になると思いますが,可能な限り進んでいきたいと思います.

ということで,1回目の今回はスタート地点である日本橋(にほんばし)から第2宿場である川崎(かわさき)宿を目指します.

日本橋には朝早めに行きたかったので,早めに起きて日本橋へ….
日本橋の写真を撮ろうと思ったら…
工事中…orz

京都に向かう長旅(今日は川崎までですがw)をいいスタートで迎えようと思ったら,いきなり工事中に見舞われました(・・;
悩んでいても仕方がないので,「あるモノ」を撮ろうと橋の中央に行ったのですが…
剥がされてとる└|゚ロ゚;|┘

この日本橋のど真ん中(道路のど真ん中)には道路元標,つまり日本中の道路の中心を示す標が埋め込まれていたはずなのですが,工事のせいか剥がされていました..ショック.
一応レプリカは橋の欄干のところにあるのですが….
道路のど真ん中に埋め込まれた標を撮影するということで,交通量の少ない朝早くを狙ったのですが,骨折り損に終わりました(ーー;
道路元標のレプリカ
本当ならこれが道路中央に埋め込まれていたんですが…

 各地点からの距離が示されています
工事中とはいえ,レプリカがある付近は空けてくれていました

いきなりのミッション失敗でテンション下がってしまいましたが,今更やめるワケにも行かないので,くじけず進みます.
まずは第1宿場である品川宿(しながわじゅく)を目指します.

今回の旅は国道1号ではなく,国道15号が中心です.
国道15号は第一国道,略して「イッコク」とも呼ばれます.
「イッコク」というと国道1号のような感じもしますが,国道1号は第二国道,つまり「ニコク」です.
ちなみに,第三国道に該当するのは「第三京浜」ですが,当時は国道ではありませんでした.(現在は国道466号)
日本橋から神奈川(現在の横浜市神奈川区)までは国道15号が東海道に近い道のりです.

国道15号を南進します.
京橋(きょうばし)
川の水は見えませんが,欄干跡は残されています

銀座(ぎんざ)
庶民の私は銀座には詳しくないので説明は省略(w

銀座といえばこの交差点…
日本の道100選の標
新橋(しんばし)
サラリーマンのオアシスでおなじみの新橋駅からは少々離れています

川崎まで16km
まだまだ長い道のりです

大門駅の由来である増上寺
旧海岸通りとの分岐を過ぎ,品川へ進みます
高輪大木戸(たかなわおおきど)跡
品川駅に到着
しかしここは品川にあらず…(港区です)

品達に行きたかったのですが,時間が早すぎたようです(^^;
品川駅を過ぎてからの分岐
旧東海道は国道15号ではなく,京急線の踏切のほうへ進むのですが,踏切の手前でさらに右折します
知らずに行くとミスルート必至です
(私もミスルートしましたw)


北品川(きたしながわ)駅すぐ脇の踏切を入ると,第1宿場である品川宿(しながわじゅく)です.
品川宿へ到着
ここからは大通りを離れて細い道を進んでいきます

問答河岸跡と品川宿の松
品川橋(しながわばし)
天妙国寺(てんみょうこくじ)
品川寺
涙橋(なみだばし)
この先にある鈴ヶ森刑場へ護送されるときに,ここで別れて涙を流したことより名がついたそうです


涙橋のふもとに気になる看板があります.
何かのテレビ番組でやっていた,「坂本龍馬ゆかりの浜川砲台跡」があります.
「浜川砲台跡」と聞いて,どんなすごいところだろうと進んでいくと…
コレ! しょぼすぎ!(w
テレビでやってたときは「浜川砲台跡」の看板があったと思うのですが,私が行ったときは看板がありませんでした
私はテレビで知っていたのでこれが砲台跡だとわかっていましたが,知らない人だと絶対気づかないと思います…

壁に描かれた絵を見てペリーを想うことにします(w

品川宿を過ぎ,第2宿場である川崎宿(かわさきじゅく)へ向かいます.
鈴ヶ森(すずがもり)刑場跡
たくさんの慰霊碑があります

一瞬国道15号と合流しますが,すぐ裏道に入ります
一瞬「ふかわりょう」に見えました(w
川崎まで5km
かなり近づいてきました

イタリア語ではないようです(w
梅屋敷公園(うめやしきこうえん)
周辺の区画整理により,徐々に狭まっているそうです

京急蒲田駅近くにある夫婦橋(めおとばし)
箱根駅伝ランナーを足止めしている京急羽田空港線の踏切
立体交差工事もかなり進んできました

国道15号と環八通り(かんぱちどおり)の交差点
川崎までもう少し!

六郷橋(ろくごうばし)との分岐
一旦左の側道(旧東海道)へ行きます

旧東海道はここで行き止まり

東海道最初の難所,六郷の渡し(ろくごうのわたし)に着きました.
今は六郷橋を渡れば簡単に渡れますが,当時は渡し船でここを通していました.
六郷橋ができた後も橋が流され,明治時代まで渡し船が続いたそうです.
六郷橋欄干跡(東京側)
六郷橋から多摩川を望む
やっと神奈川県入り
ここから川崎宿までもう少し.ラストスパート!

六郷橋の欄干
六郷の渡しの碑
六郷橋欄干跡(神奈川側)

川崎市に入り,すぐ国道15号から分かれて細い道に入ります.
少し進んで砂子(いさご)交差点付近が川崎宿があった場所だそうです.
川崎宿へ到着!
旧東海道を示す看板はありますが,当時を偲ばせるような跡はあまり残っていません…

ということで,今回の目的地である川崎宿へ無事到着.
朝8時半に出発し,着いたのは14時半過ぎ…実に6時間の長旅でした.
日本橋を出発したときは足取り軽く順調に進みましたが,川崎に着く頃には足がパンパン….
ふくらはぎが少々痛くなりました(^^;

帰りは今までの道のりの復習を兼ね,京急線に乗って帰りました.
川崎から品川まであっという間…歩きで数時間かかったところを数十分で帰ってきました(^^;
京急川崎(けいきゅうかわさき)駅から品川へ
あっという間に着きました…


東海道を歩いて旅するとき,何と言っても大変なのが箱根越えです.
小田原(おだわら)~箱根(はこね)間は,距離は日本橋~川崎よりわずかに短い程度ですが,高低差は800m以上あります.(日本橋~川崎は高低差10m未満)
こんなことで足を痛めていたら箱根越えが思いやられますが,徐々に慣れますでしょうか..

とりあえず,近いうちに小田原までは目指したいと思います.

現在地:(2)川崎
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:17.6km

残り宿場:52/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:474.5km/492.1km

※次回の日記はコチラ

ブログ アーカイブ

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
旅行好きのオッサンです.

contact

名前

メール *

メッセージ *

QooQ