甲州街道プレシーズン・その1 
((S)日本橋(にほんばし)~(1)内藤新宿(ないとうしんじゅく)~(2)高井戸(たかいど)) 
曇り時々晴れ 
奥州街道(おうしゅうかいどう)の旅が終わり,梅雨入りもしたので「次回の旅は秋かな…」と思っていたのですが,今週末は晴れて気温もそれほど上がらない予想だったので旅を始めることにしました. 
(最高気温28度くらいを「歩くか歩かないか」の基準にしています) 
東海道(とうかいどう),日光街道(にっこうかいどう),奥州街道を制覇し,五街道は残り甲州街道(こうしゅうかいどう)と中山道(なかせんどう). 
甲州街道か中山道か迷いましたが,中山道のゴールは京都三条大橋(草津~三条大橋は東海道との重複区間)で「有終の美を飾るなら京都!」と勝手に思い込み(^^; 今回は甲州街道に決めました. 
甲州街道は東京の日本橋と長野(ながの)の下諏訪(しもすわ)を結ぶ街道で,下諏訪で中山道と合流します. 
ほぼ国道20号に沿ったルートで,総延長210.8kmで奥州街道(191.8km)にくらべるとちょっと長いです. 
宿場は開設・廃止を繰り返しているからか総数にはいろいろ説がありますが,私の旅では 
・下高井戸宿と上高井戸宿(半期ごとに入れ替え)は「高井戸宿」として「1」でカウント 
・布田五宿は「5」でカウント 
・八王子市街の宿場は「横山宿」として「1」でカウント 
・鳥沢宿は「下鳥沢宿」,「上鳥沢宿」として「2」でカウント 
・花咲宿は「下花咲宿」,「上花咲宿」として「2」でカウント 
・初狩宿は「下初狩宿」,「中初狩宿」として「2」でカウント 
として,ゴールの下諏訪宿も含めて45と考えたいと思います. 
ということで,今回も日本橋からスタート! 
今回も日本橋から始まります 
今回の旅の「上がり」は下諏訪ですが,中山道の旅のときは京を目指します 
首都高速から見える道路元標は,下に架かる日本橋上にある元標の位置に合わせて真ん中からずれてます 
あんみつでおなじみの榮太樓總本鋪 
一石橋(いちこくはし)と橋際にあるしるべ石 
この周辺は繁華街で迷子が多かったので,左右の窪みに迷子や尋ね人の特徴を記した紙を貼って告知したんだそうです 
現在の常盤橋(ときわばし)の数十m上流側にある旧常盤橋 
地震による影響調査で通れませんでした… 
反対側はバリケードで通れなかったので,すき間から撮影(^^; 
常盤橋門跡です 
日本銀行と向かい側にある貨幣博物館 
日本銀行は金貨の鋳造をしていた金座があった場所です 
東京駅のすぐ北側でガードをくぐり,大手町(おおてまち)に入ります 
将門首塚(まさかどくびづか) 
皇居前のT字路で左折 
ここからしばらく皇居を見ながらの歩きになります 
大手高麗門(おおてこうらいもん) 
桜田巽櫓(さくらだたつみやぐら)とここから見える富士見櫓(ふじみやぐら) 
和田倉門(わだくらもん)跡と和田倉噴水公園 
二重橋(にじゅうばし) 
このときは観光客も多いし,桜田門側から行けばいいや…と思っていったんですが… 
桜田門(さくらだもん)は工事中! 
二重橋側に通り抜けできませんでした… 
初めてクルマで走る人は必ず迷う!? 
一番左の車線以外は全て右折車線の祝田橋(いわいだばし)交差点 
日比谷公園(ひびやこうえん)内にある日比谷見附跡(ひびやみつけあと) 
この時点で,スタートから約2時間.. 
日本橋からの距離にするとまだ3kmも進んでいません(^^; 
寄り道しすぎてしまったので少々ペースアップして歩きます. 
法務省の赤レンガ棟と米沢藩上杉家の江戸屋敷跡 
皇居の壕を見ながら歩きます 
永田町(ながたちょう)といえば国会議事堂… 
櫻の井 
この一帯は,前加藤清正邸です 
左側は首都高速 
一般道はこの先三宅坂(みやけざか)交差点で国道20号と国道246号が分岐します 
国道20号の4kmポスト 
この辺りに一里塚があったそうです 
近くにある最高裁判所の高台(?)あたりでしょうか… 
半蔵門(はんぞうもん)交差点で左折 
半蔵門は厳重な警備体制で近寄れません… 
紀尾井坂(きおいざか) 
地名にもなっている「紀尾井」は紀伊・尾張・彦根(井伊)3藩の屋敷があったことにちなんでいるそうです 
四谷駅前(よつやえきまえ)交差点で右折 
この先すぐに国道20号に戻りますが,旧道はコの字状になっており,ここに四谷見附跡(よつやみつけあと)があります 
西念寺(さいねんじ)と服部半蔵(はっとりはんぞう)の墓 
四谷といえば四谷怪談… 
ということで,その四谷怪談の舞台となった於岩稲荷田宮神社(写真上)と於岩稲荷陽運寺(写真下) 
お岩さん縁の井戸 
四谷四丁目交差点 
国道20号はここで斜め左折してトンネルに入りますが,旧道はここを斜め右折します 
四谷大木戸跡碑 
四谷の入口を示す碑ですが,「新宿の入口」のイメージが強いです(^^; 
この時点でお昼の2時すぎ. 
やっと第1宿場の内藤新宿の入口まできました. 
内藤新宿は五街道設定時には開設しておらず,最初の宿場は高井戸宿でした. 
日本橋から高井戸までは約4里(16km)あり遠すぎるという理由で元禄11(1698)年に開設されましたが,享保3(1718)年に一度廃止,その後明和9(1772)年に再開…という経緯があります. 
内藤新宿の「内藤」は,当時内藤家の領地内だったことに由来するそうです. 
新宿御苑大木戸門(しんじゅくぎょえんおおきどもん)にある内藤新宿開設300年記念碑と高遠小彼岸桜 
太宗寺(たいそうじ)と境内にある閻魔像 
都内最大の閻魔像 
同じく太宗寺にある内藤正勝の墓 
今日も賑わう新宿三丁目交差点 
ここにある交番は「追分交番」です 
ここは甲州街道と青梅街道(おうめかいどう)の追分です 
新宿三丁目交差点のすぐ南の新宿四丁目交差点 
甲州街道はここを右折します. 
三丁目交差点から四丁目交差点まで数十mしか離れておらず,右折待ちのクルマで常に渋滞しています 
新宿四丁目交差点の先にある天龍寺(てんりゅうじ)と時の鐘 
内藤新宿で遊行する人々を追出すために鳴らしたそうです 
JR新宿駅(しんじゅくえき)南口 
人の多さはいつものこと…(^^; 
初台(はつだい)交差点と首都高速新宿線越えに見える東京オペラシティ 
細長いビルの端っこにそびえる子育地蔵尊 
建物の形が特徴的な牛ケ窪地蔵尊(うしがくぼじぞうそん)と道供養碑 
笹塚跡(ささづかあと) 
街道両側に直径1mほどの塚があり,笹が生い茂っていたので笹塚と呼ばれていたそうです 
この辺りに江戸から3番目の一里塚があったそうです 
明大和泉キャンパスと入口左にある塩硝倉(えんしょうぐら)跡 
国道からちょっと逸れて裏道へ… 
この道には託法寺(写真上)と栖岸院(写真下)など6つの寺が並んでいます 
桜上水(さくらじょうすい)駅近くにある一里塚バス停 
このバス停以外にそれらしい跡や案内板はありませんでした… 
と思ったら,かなり先に歩いたところにやっと案内板が… 
まさか国道20号16kmポストがあるからここに案内板を設置したんじゃ…(^^; 
高井戸陸橋 
国道20号と環状8号線(環八通り)との交差点 
このすぐ先で斜め左折して旧道に入ります 
長泉寺(ちょうせんじ) 
芦花公園駅北(ろかこうえんえききた)交差点で左折 
今日はここで終了です 
甲州街道の初っぱなですが,日本橋近辺で寄り道しすぎてしまい,高井戸に着いた頃は日没直前…. 
甲州街道としての道のりにすればいつもよりやや多い程度ですが,寄り道の分かなり歩いて疲れてしまいました.. 
次回,晴れて気温が比較的低い日があれば夏前に行くかも知れませんが,次回はいつの日か.. 
現在地:(2)高井戸 
今回進んだ宿場:2 
今回進んだ距離:17.0km 
今回歩いた歩数:44,638歩 
残り宿場:43/45 ※「45」はゴール(下諏訪)を含めた数  
残り距離:193.8km/210.8km
※次回の日記はコチラ
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