※前回の日記はコチラ(1周目の同区間の日記はコチラとコチラ)
東海道五十三次の旅(2周目)・その20
((23)駿河国・島田(しまだ)~(24)遠江国・金谷(かなや)~(25)日坂(にっさか))
晴れ
前回の旅で
箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川といわれた大井川(おおいがわ)の手前まで来ました。
今回はその大井川を越え、さらに東海道三大難所(諸説あり)の一つである小夜の中山(さよのなかやま)を越えます。
JR島田駅(しまだえき)から前回の中断地点まで進み、再開!
枡形跡(ますがたあと)
ここまでが島田宿内です
大井神社(おおいじんじゃ)
島田の帯祭 大奴像
この特徴的な所作から日本三奇祭の一つ(諸説あり)に数えられています
ここを斜め左折します
大井川 川越遺跡入口
川越遺跡の入口に着きました。
川越遺跡は電柱や電線などがなく(よーく見ると所々ありますが(^^;)、当時の町並みを再現したスポットになっています。
大井川が氾濫しているときは足止めを食らった多くの旅人で賑わったそうです。
当時を偲びながら町並みを歩きます
六番宿(ろくばんやど)
島田市博物館分館
三番宿
十番宿
二番宿
中には入れません
仲間の宿(なかまのやど)
各番宿の代表である川越小頭(かわごえこがしら)や陸取り(おかどり)が集まって会議を開いた場所
関川庵の標柱のところを進んで寄り道
関川庵
関川庵敷地内にある吉三郎の墓
立会宿
川会所跡(かわかいしょあと)
江戸時代まではここに川会所がありました
芭蕉庵
店先にガチャガチャがありました
川会所(かわかいしょ)
川越賃銭(かわごしちんせん)の決定や川札(かわふだ)・台札(だいふだ)の販売、川越人足(かわごしにんそく)の管理などを行った場所
川の深さによって川札の値段が決まっていました
川会所内にある芭蕉句碑
島田大堤(しまだおおつつみ)
七番宿跡
一番宿
八重枠稲荷神社
ヘルメットでできたキツネのお面
せぎ跡
朝顔の松
大井川に着きましたが、ここからは川を渡れません
遠くに見える橋まで迂回します
山の方には大きな「茶」の文字があります
10分弱くらい歩いて大井川橋(おおいがわはし)まで来ました
大井川橋まで来ました。
大井川を渡す全長1,026mの橋です。
この橋を越えると駿河国(するがのくに)から遠江国(とおとうみのくに)に入ります。
橋を進みます
1周目のときは風が強く怖かったのですが、今回はほぼ無風で安心です
大井川を眺めながら渡ります
20分弱くらいかけて橋を渡りきりました
ここの目線の先が旧東海道(先ほど通った場所・川越遺跡)です
旧東海道に復帰しました
大井川 川越の図
金谷宿川越し場跡
八軒屋橋(はちけんやはし)
八軒屋橋を渡ると第24宿場・金谷宿(かなやしゅく)です。
大井川と、この先に控える小夜の中山の2つの難所に挟まれた場所にあり、旅人で賑わったそうです。
旧家 加藤家跡
宅円庵と日本左衛門の首塚
大井川鐵道 新金谷駅(しんかなやえき)
SLをイメージした黒いポストがあります
大代橋(おおじろはし)
清水橋(しみずはし)
金谷宿内を歩きます
ここは国道473号です
山田屋本陣(三番本陣)跡
佐塚屋本陣跡
柏屋本陣(かしわやほんじん)(一番本陣)跡
脇本陣(わきほんじん)(角屋・金原三郎右衛門家)跡
定飛脚問屋(じょうひきゃくといや)(三度屋)跡
金谷一里塚跡
江戸から53番目の一里塚
旧東海道は金谷駅(かなやえき)を突き抜けるように通っていましたが、現在は通れないのでここで左折します
長光寺
境内にある芭蕉句碑
金谷駅
こちら側には改札口がないので乗車できません
金谷大橋(かなやおおはし)(西入口土橋(にしいりぐちどばし))跡
ここまでが金谷宿内です
ここから急坂が始まります
目線の上の方に国道473号が見えますが、直接行けないので右折して迂回します
金谷の町並みが一望できます
国道を渡ると坂道が待ち構えています
石畳入口
右隣に茶屋があります
続きは後半にて…。