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中山道の旅2ndシーズン・その7
((17)上野国・坂本(さかもと)~(18)信濃国・軽井沢(かるいざわ))
晴れ
いよいよ中山道最大の難所・碓氷峠(うすいとうげ)を越えるときがやってきました。
麓の標高は約550m、頂上の標高は約1200m、標高差約650m
東海道の箱根峠(はこねとうげ)以上の標高差を、箱根峠よりも短い距離で越えます。
つまり、碓氷峠のほうが傾きが急ということ。。
無事越えられるでしょうか。。
最寄りの横川駅(よこかわえき)に到着
飲み物を調達しようとしたら、自販機下のコンクリートブロックにナイスシュート!(爆
朝からツイてません。。
タクシーで前回のゴール地点、碓氷峠登山口へ到着
いよいよここから登山が始まります。
スタートからかなりハードな急坂です
「熊出没注意」なので、念のため熊鈴を装備します
(ただ、この日は登山道を通る方が結構いたので心配無用でした…)
堂峰番所跡(どうみねばんしょあと)
安政遠足(あんせいとおあし)のゴール地点は頂上である熊野神社
途中コースが分岐するので全く同じではないですが、頂上までの大体の距離の目安になります
ひたすら急坂を登り…
ガレた道を登り…
柱状節理(ちゅじょうせつり)
火成岩が冷却・固結するとき、亀裂を生じ自然に四角形や六角形の柱状に割れたもの。
刎石坂(はねいしざか)
坂本宿にあった芭蕉句碑はもともとはここにあったのだそう
石がゴロゴロしていて難所の碓氷峠の中でも一番の難所です
この先で自転車に乗った方とすれ違ったのですが、この坂は通過できたのでしょうか…
刎石坂を登りきったところの「覗」(のぞき)
ここは絶景!坂本宿が一望できます。
奥を横切っているのは上信越道
入口から続いていた急坂はここまで。
ここからしばらくは緩やかな坂になります。
弘法の井戸(こうぼうのいど)
弘法大師が、刎石茶屋に水がないので、ここに井戸を掘ればよいと伝えられている霊水
刎石茶屋跡
当時の石垣が残っています
碓氷坂関所跡(うすいざかせきしょあと)
奥の小屋は休憩所です
南向馬頭観世音(みなみむきばとうかんぜおん)と北向馬頭観世音(きたむきばとうかんぜおん)
刎石一里塚
江戸から35番目の一里塚
座頭ころがし
ちなみにこの坂を上りきったところに廃車があったらしいですが、見つかりませんでした…
「立入禁止」の道は明治天皇御巡幸道
栗が原(くりがはら)
この場所に群馬県最初の「見回り方屯所」があり、これが交番のはじまりのだそうです
入道くぼ(にゅうどうくぼ)
山中茶屋の入口にある線刻の馬頭観音
急に道幅が広くなり、コンクリートの擁壁が見えてきました
この辺りまでクルマで通れたのでしょうか…
山中茶屋跡
13軒の立場茶屋があり、茶屋本陣には上段の間が2か所あったそうです
山中学校跡
明治時代にはここに小学校があったとのこと
現在は廃屋と石垣が残っています
いきなり側溝が現れました
振り向くとこんな看板が…
こんなところにもクルマが往来していた時期があったのでしょうか…
安政遠足ゴールまで3km
頂上が近づいてきました
途中タヌキと遭遇しました
クマじゃなくてよかった…
山中坂
このあたりから別荘の建物が見え始めました
(今は使われていなさそうですが…)
廃バス
昔はこの辺りも別荘地で賑わっていたのでしょうか…
一つ家跡
ここには老婆がいて、旅人を苦しめていたそうです
陣場ヶ原(じんばがはら)
真っ直ぐは和宮道で安政遠足も真っ直ぐです
中山道は斜め左折します
人馬施行所跡
人馬の休憩所だったところ
この小川を飛び石で渡ります
小川を渡った後は熊笹に囲まれた獣道
はぐれたらどこが道だったかわからなくなりそうです…
頂上まであと少し…
最後の急坂に挑みます
その名は長坂道
何とか登りきりました
先ほど分かれた和宮道と合流しました
合流地点にある仁王門跡碑と思婦石(おもふいし)
合流点から少し戻ったところにある「一つ家の歌碑」
「八万三千八三六九三三四四 一八二四五十二四六百々億四百」と刻まれており、
「やまみちは さむく さみしし ひとつやによごとにしろくももよおくしも」と読みます
登山口からずっと土の山道でしたが、ようやくアスファルト舗装が見えてきました
みくにふみの碑
こちらには「四四八四四 七二八億十百 三九二二三 四九十 四万万四 二三 四万六一十」と刻まれており、
「よしやよし なにはおくとも みくにふみ よくぞ よままし ふみ よまむひと」と読みます
いよいよ碓氷峠の頂上、上野国と信濃国の境に来ました!
上野国と信濃国の国境
奥に見える茶店は国境上にあります
熊野神社アンド熊野皇大神社
地面を見ると長野県と群馬県の県境上にあることがわかります
鳥居の先にいる可愛らしい狛犬
ちゃんとした(?)狛犬も鳥居手前にいます
一つの境内に二つの神社
なので鈴も賽銭箱も二つ並んでいます
樹齢800年のシナノキ
パワースポットして崇められています
国境を臨む
熊野神社の向かいに茶屋が並んでいます
渡辺重石丸(いかりまろ)の数字歌碑
「四八八三十 一十八五ニ十百万三三一ニ 五十四六一十八三千百万四八四」と刻まれており、
「世は闇と 人は言うとも正道(まさみち)に 勤しむ人は道も迷はじ」と読みます
この細い道が中山道の続きですが、この先で消滅しているとのことなので別の道を進みます
見晴台入口
ここを右折すると遊歩道ですが、直進してちょっと寄り道…
見晴台の広場に来ました
ここも群馬県と長野県の県境上にあります
見晴台からの眺め
広場にある万葉歌碑
先ほどのところまで戻って遊歩道を進みます
入口には道標があります
正確には中山道ではありませんが、何か昔を偲ばせるような山道です
作業中の橋
塗装作業でしょうか…左右で色が違います
山道を下っていきます
吊り橋を渡ります
吊り橋を渡るとクルマが通れる道幅になります
このあたりから旧軽井沢(きゅうかるいざわ)の別荘地帯に入ります
右から中山道と合流
ここから再び正真正銘の旧中山道になります
県道に合流し、ここから舗装道になります
登山道入口から6時間。。
やっと第18宿場・軽井沢宿(かるいざわしゅく)に入ります。
二手橋(にてはし)
ここから軽井沢宿内に入ります
軽井沢宿が衰退後、避暑地として再建した張本人、アレキサンダー・クロフト・ショーの記念礼拝堂
芭蕉句碑
つるや旅館
島崎藤村、 芥川龍之介、 志賀直哉といった文豪が泊まったそうです
軽井沢宿内(旧軽銀座(きゅうかるぎんざ))
完全に「ザ・観光地」です。。
軽井沢観光会館
旧軽井沢郵便局を模したそうです
軽井沢宿を偲ばせる数少ないモノ・明治天皇軽井澤行在所碑
軽井沢宿本陣があった場所
こちらが現在の軽井沢郵便局
観光地に合わせてカラーリングが控えめ?
旧軽銀座の入口
ここまでが軽井沢宿内だったそうです
江戸時代は枡形道だったそうですが現在ではロータリーになっています
旧軽銀座を過ぎ、静かな道を進みます
六本辻
中山道は直進方向ですが、今日はここまで
軽井沢駅方面に戻ります
元は六差路でしたが、昨年からできたロータリー式交差点になっていました
軽井沢駅に着きました
今日の戦利品!?
中山道最大の難所・碓氷峠を無事乗り越え、長野県に入りました。
長野県は東海道でいうところの静岡県の位置づけで、これからしばらくは長野県を歩くことになります。
長野県内は物理的にも公共交通機関的にも難所が多いです。
無事乗り越え、次の岐阜県入りできますでしょうか。。
現在地:(18)軽井沢
今回進んだ宿場:1
今回進んだ距離:10.7km
今回歩いた歩数:19,471
残り宿場:52/70 ※「70」はゴール(三条大橋)を含めた数
残り距離:387.1km/533.9km
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