東海道五十三次の旅2ndシーズン・その7(岡崎~池鯉鮒)

2011年11月13日日曜日

[歩]東海道五十三次

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※前回の日記はコチラ

東海道五十三次の旅2ndシーズン・その7
((38)岡崎(おかざき)~(39)池鯉鮒(ちりゅう))
晴れ

今週は小春日和.歩くにはもってこいの時期です.
先週に引き続きになりますが,今週はいい天気ということで出かけることにしました.
今日の朝食は東京の深川飯
朝の東京駅はまばらなのですが,駅弁コーナーだけは人だかりができてました(^^;

前回のゴール地点,東岡崎駅からスタート!
今日は朝からいい天気です


今日は,前回終了した場所である岡崎二十七曲がりからスタート.
岡崎城主の田中吉政が,初めは岡崎城下に東海道を引き入れたものの,他の城下町と同じように敵の侵入を少しでも遅らせるように屈折させ,岡崎二十七曲がりを造りました.
岡崎二十七曲がりの冠木門(かぶきもん)からスタート
早速右に曲がります

曲がり角にはこのような道標が立っているので安心です
伝馬(てんま)通り沿いにある小さな石像
道路の左右に20体あります

和菓子店「備前屋」の壁面にある 「駒牽朱印」
岡崎信用金庫資料館
大正6年に建てられたそうです

岡崎城の龍田総門跡碑と岡崎城主の田中吉政像
公園の中をブチ抜いて通ります
道標がないと不安になりそうな細い道
柿田橋
橋を渡らず手前の道を左折します

案内がないと間違えそうな場所
細い道を左折します

片側2車線の国道1号が行く道を阻みます
ちょっと迂回して歩道橋を渡ります

東海道はここで右折ですが,直進してちょっと寄り道
竹千代橋と竹千代像
岡崎城と巽閣(たつみかく)近くにある芭蕉句碑
一足お先に八丁味噌のおでん
お茶がなぜか缶入りですが(^^;

東海道に戻り,松葉総門跡碑

松葉総門跡碑のある松葉通りを進むと八丁味噌の郷があります.
八丁味噌は,岡崎城から8町離れた所にある八丁村(現:八帖町)で作られたことが名前の由来で,現在は「カクキュー」と「まるや」の2軒で製造されています.
カクキュー
味噌串かつを頂きました

こちらはまるやの蔵
八丁蔵通り
宮崎あおいの手型もありました

八丁味噌の蔵を抜けると二十七曲がりも終盤
おとなしい猫もいました(^^;

国道1号の矢作橋(やはぎばし)近くで曲がって岡崎二十七曲がりは終了です

見どころが多かった岡崎二十七曲がりでしたが,これを抜けると次の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)までは見どころが少なくなります(^^;
矢作神社(やはぎじんじゃ)と新田義貞ゆかりのうなり石
国道1号に入って歩きまくり,安城(あんじょう)市に入って旧道に入ります
その他の危険!
この辺りは松並木が何ヶ所かあります

永安寺(えいあんじ)と雲龍松(うんりゅうまつ)
安城市内はほんと松並木が多いです
標識がありませんが,この橋を渡ると知立(ちりゅう)市です
無量寿寺(むりょうじゅじ)
かきつばたで有名です

松尾芭蕉や在原業平が「かきつばた」で句を詠んでいます
来迎寺(らいこうじ)一里塚
1つは道のすぐ側にありますが,もう1つは公民館の裏に隠れてます(^^;

松並木が始まり,池鯉鮒宿に入ります

今日の目的地,池鯉鮒宿に入ります.
池鯉鮒宿は現在の知立市で,昔は「池鯉鮒」と書いていました.
松並木の中にある一茶句碑
馬市の跡碑
わかりづらいですが,真ん中の細い道を進みます
この五差路もわかりづらいですが,来た道を真っ直ぐ進むように細い道を進みます
問屋場跡碑
本陣跡碑と明治天皇行在所聖蹟跡碑
今日のゴール地点,知立駅に到着

前回は御油(ごゆ)宿から岡崎(おかざき)宿まで3つの宿を進みましたが,今回は距離が長めだったこともあり進んだのは1つだけでした.
見どころのほとんどを岡崎二十七曲がりに持って行かれましたが(^^; 長い道のりを松並木を眺めながら進んでいきました.

名古屋(なごや)の宮宿(みやじゅく)まであと2つ.
距離が少々長いですが,頑張って次回は宮宿を目指したいと思います.
帰りに知立名物あんまきを買いました

現在地:(39)池鯉鮒
今回進んだ宿場:1
今回進んだ距離:14.9km
今回歩いた歩数:39,248歩

残り宿場:15/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:162.6km/492.1km

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