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東海道五十三次の旅2ndシーズン・その8
((39)三河国・池鯉鮒(ちりゅう)~(40)尾張国・鳴海(なるみ)~(41)尾張国・宮(みや))
晴れ
1年前(正確には12月12日ですが),「東海道五十三次の旅」と題して東京の日本橋から第一歩を踏み出しました.
最初は「一生のうちに達成できないかも知れない」と思っていましたが,意外(?)と楽しいと思い,トントン拍子で進み名古屋に着きそうな勢いになりました.
あれから一年….
初日,日本橋から川崎(かわさき)まで歩いたときは足がガクガクになりましたが,今では歩き方にも慣れ,それ程痛みは残らなくなってきました.
(調子に乗って寄り道しすぎて一日で歩く時間がだんだん長くなっていますが(^^; )
そんな1周年のこの週,区切りの名古屋の宮宿(みやじゅく)まで歩きます.
今日の朝ご飯はちょっと贅沢にうにめし
底上げされているので見た目ほどご飯は入っていません(^^;
前回のゴール地点である知立(ちりゅう)駅からスタート!
知立古城址
今では公園になっています
知立神社と知立神社石橋
知立神社のすぐ隣にある知立公園と芭蕉句碑
民家に常夜灯がお邪魔しています(^^;
総持寺と於萬の方誕生地碑
逢妻(あいづま)橋
国道1号に合流
東海道五十三次の最後の宿場である大津(おおつ)の地名が出てきました
まだ140km以上ありますが…
刈谷(かりや)市に入ります
刈谷一里塚
歩道橋のふもとにあります
前もって調べていたので発見できましたが,調べていなかったら素通りすること必至…
洞隣寺
洞隣寺境内の墓地にある中津藩士の墓とめったいくやしいの墓
洞隣寺で下働きしていた娘が医王寺の住職に一目惚れ.食が進まず憤死してしまい,洞隣寺の和尚が亡骸を引き取ったが,火玉が浮かび上がり,「めったいくやしい」と声をしながら医王寺のほうに飛んでいったのだとか…
いもかわうどん発祥地の碑
東のほうには「ひもかわうどん」として伝わり,今でも東京のうどんを「ひもかわ」と呼びます
古い建物が並びます
乗運寺と境内にある樹齢800年のシイの木
富士松(ふじまつ)駅と駅の名の由来になったお富士松
当初はここから約200m南にあったそうですが,伊勢湾台風で枯れてしまったのだそうです
境橋(さかいばし)
三河国と尾張国を結ぶ橋
ここを渡るといよいよ尾張国です
架橋当時は尾張側は板橋,三河側は土橋の継ぎ橋だったそうです
継ぎ橋の境橋を皮肉った歌碑
「うち渡す 尾張の国の 境橋 これやにかわの継ぎ目なるらん」
にかわ(膠)と三河がかかってます
再び国道1号に合流し,阿野(あの)一里塚手前で斜め左へ
刈谷一里塚はわかりづらかったですが,これならわかりやすいです(w
阿野一里塚
左右両方の塚が現存する数少ない一里塚跡です
遠くから見るとこんな感じ…
松並木
今回歩いた区間は松並木が少なかったです…
中京競馬場前駅
中京競馬場前駅近くにある桶狭間(おけはざま)古戦場跡
今も昔も馬が戦っています(^^;
今川義元公の墓
今川義元公の墓 その2
「その2」があるなんて(^^;
駒つなぎのねず
今川義元がこのねずの木に駒をつなぎ酒宴をしていたところ,雷雨となり信長の急襲を受けて戦死したそうです
高徳院
今川義元本陣跡にもなっています
高徳院境内にあるタブの木と芭蕉句碑
池鯉鮒宿と鳴海宿の間にある間の宿(あいのしゅく)有松宿(ありまつしゅく)に到着.
有松は木綿を藍で染めた有松絞りで有名です.
斜め左(一方通行の出口)に入ると有松宿です
有松宿内は電線がなく,古い建物が並んでいることも相まって昔ながらの雰囲気を感じることができます
右の写真は電線があるところとの境界(^^;
有松山車会館
有松には3つの山車(布袋車・唐子車・神功皇后車)があり,その3台を1台ずつ交代で展示しています
入口にかかっている暖簾も有松絞りです
有松山車会館の隣にある寿限無茶屋
ここで鴨鍋うどんを頂きました
有松・鳴海絞り会館
絞りに夢中!?
井桁屋(服部家)住宅(写真上)と竹田家住宅(写真下)
岡家住宅(写真上)と小塚家住宅(写真下)
こんな感じで有松宿には古い民家が県・市指定文化財として残されています
有松一里塚
今では上を通るバイパスが目印になっています(^^;
有松宿を抜けるとすぐに鳴海宿(なるみじゅく)に入ります.
鳴海宿入口
常夜灯が出迎えてくれます
鳴海宿の案内図
ナゼか現在地が2つあります(w
(↑正解は右の方にある点)
曲尺手(かねんて)のようになっています
看板には「上州 草津温泉」と書いてあります
古い建物ですが,草津温泉と関係が!?
中島砦跡
どなたかの家の庭先にあります
門を入っていくので不法侵入っぽいですが(^^;
ここも曲尺手っぽくなっています
結構クルマの通りが多いのでクルマは大変だと思いますが…
誓願寺と境内にある芭蕉供養塔
芭蕉供養塔としては日本最古のものだそうです
天神社
鳴海城(なるみじょう)址でもあり,鳴海城は根古屋城(ねごやじょう)とも呼ばれました
三菱東京UFJ銀行前にあった,復元された高札場
これも問屋場でしょうか(^^;
鳴海宿の京側の入口
ここにも常夜灯がありました
鉾(ほこ)の木貝塚
千鳥塚への道
案内がないと不安になりそうな民家の裏道を進んでいきます(^^;
千句塚公園
入口の壁にも芭蕉の句が彫られていました
千鳥塚
芭蕉存命中に建てられた唯一の碑で,芭蕉直筆なんだそうです
千句塚公園からの眺め
だんだん夕日になってきました…
天白橋
笠寺一里塚
江戸から89番目の一里塚
立派な榎の木が残っていました
笠寺観音(かさでらかんのん,笠覆寺(りゅうふくじ))と芭蕉の千鳥塚
千鳥塚の隣には宮本武蔵之碑もありました
本笠寺(もとかさでら)駅と笠寺観音を結ぶ商店街
ここも旧東海道です
白毫寺(びゃくごうじ)と年魚市潟(あゆちがた)勝景地跡
この年魚市(あゆち)が「愛知」の語源になったとも言われているそうです
山崎の長坂
名付けるほど急坂でもなかった気もします(^^;
山崎橋
本格的に夕暮れになってきました…
やっと宮宿の入口まで到着.
ノンビリしていたつもりはないのですが,すっかり日も暮れてきました.
日没までに間に合うでしょうか….
急に都市部っぽい感じになってきました
熱田橋
もう辺りは真っ暗…
旧裁断橋と都々逸発祥の地碑
もうフラッシュ炊かないと写らない暗さになりました…
一里塚
こちらは夜景撮影…
宮の渡し公園全景
七里の渡しから堀川を望む
昔はここから次の桑名宿(くわなじゅく)まで海路を船で行きました
常夜灯と時の鐘
今でも1日3回時を知らせてくれるそうです
暗くてよくわかりませんが,ひつまぶしで有名な蓬莱軒(ほうらいけん)
こちらも暗くてよくわかりませんが,熱田神宮の鳥居(w
やっとの思いで熱田駅に到着
もうすっかり夜!
宮宿の「宮」とは熱田神宮(あつたじんぐう)を指し,熱田宿とも呼びます.
中山道や脇街道美濃路(みのじ),佐屋街道(さやかいどう)との分岐点であることもあり東海道最大の宿場で,本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠屋は248軒を数えたそうです.
そんな宮宿を日没前に到着して写真を撮りたかったのですが,あえなくタイムオーバー….
ライトアップされた幻想的な「時の鐘」が見られましたが,蓬莱軒のひつまぶしも食べていませんし,これは「再履修」でしょうか(^^;
宮宿から次の宿場である桑名宿までは,東海道唯一の海路で七里の渡しと呼ばれ,その名の通り約七里(約28km)あります.
船で渡るとはいえ,昔の人は「船の中で休憩」とは思っていなかったそうで,波で揺れる船の中でビクビクしていたそうです.
現在ではこの海路を(定期便で)結ぶ船はない(遊覧船発着場はありますが,名古屋城などこの付近を結ぶだけ)のでこの海路をトレースするのは事実上できません.
しかし,昔の人がこの海路避けるために通った佐屋街道を私も次回進んでいきたいと思います.
ということで,愛知県はこれで尾張…いや,終わり(笑
長かった静岡に比べ,愛知県はあっと言う間でした….
次の桑名宿からは三重県に入ります.
現在地:(41)宮
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:17.5km
今回歩いた歩数:(電池切れで計測できず…)
残り宿場:13/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:145.1km/492.1km
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