中山道の旅・その1
((S)日本橋(にほんばし)~(1)板橋(いたばし)~(2)蕨(わらび))
晴れのち曇り
先週甲州街道の旅を完結し,五街道の旅もいよいよラストの中山道(なかせんどう)を残すのみとなりました.
中山道は東海道と同じく江戸の日本橋(にほんばし)から京の三条大橋(さんじょうおおはし)を結びます.
(草津から三条大橋までは東海道との重複区間)
東海道が海沿いを進むのに対し,中山道は内陸(要するに山沿い)を進みます.
総延長533.9km,宿場の数は69(ゴールの三条大橋を含めると70)と,東海道よりも距離も宿場数も多いです.
中山道は「山の道」のイメージがありますが,都会あり,自然あり,昔ながらの面影残す宿場あり…と今までの五街道の旅の集大成になりそうです.
今までとは比べものにならにツライ道のりになりそうですが,再び京都を目指しての第一歩を踏み出しました!
五街道最後の旅も日本橋から始まります
塔の真下に道路元標があります
二つの道路の中央から少しずれているのはそのためです
なんか撮影やってました(^^;
こんなところでやらなくても…
日本橋から北へ一直線に伸びる中山道を進みます
鐘撞堂跡(かねつきどうあと)
隣には与謝蕪村居住地跡である夜半亭があります
今川橋跡
JR神田駅(かんだえき)の下をくぐります
国道17号は斜め右折しますが,旧中山道は直進します
斜め右折した先には秋葉原(あきはばら)の電気街が見えます
JR神田万世橋ビル
以前まで交通博物館があった場所です
旧万世橋駅
現在ではテナントが入っています
レンガに生々しい修復跡が残っていますが大丈夫でしょうか…(^^;
筋違見付跡(すじかいみつけあと)
詳しい場所がわからなかったのですが,「昌平橋(しょうへいばし)から下流50m」とのことなのでこの辺りだと思います
昌平橋
昌平橋から見た神田川
中山道はここを左折します
神田明神(かんだみょうじん)
写真左は隋神門
神田明神境内にある銭形平次とがらっ八の碑
神田明神入口にある甘酒の天野屋
写真下は昔通っていた都電の「神田明神前」電停の看板
湯島聖堂
聖橋(ひじりばし)から見た神田川
この当たりは「仙台堀」といわれる掘割です
(クレーンで掘削しているのは無関係w)
東京医科歯科大学
本郷三丁目(ほごうさんちょうめ)交差点際にある「かねやす」
ここまでが江戸!?
本郷薬師
旧加賀屋敷御守殿門
東大赤門(とうだいあかもん)です
こちらは東大正門
ここで中山道は左折
ここは本郷追分(ほんごうおいわけ)で,直進方向は岩槻街道(日光御成道)です
交差点際にある「高崎屋」は宝暦元年の創業で,ここに中山道最初の一里塚があったそうです
わずかですが東京都内の国道17号にも片側一車線の区間があります…
高崎までは103km
高崎まで行って,やっと中山道全体の5分の1です…
浄心坂(じょうしんざか)を下ったところの円乗寺(えんじょうじ)にある於七之墓(おしちのはか)
大円寺(だいえんじ)のほうろく地蔵
東洋大学
白山通り(はくさんどおり)と合流
片側一車線の道から一気に片側三車線の広い道になります
巣鴨駅(すがもえき)近くにある徳川慶喜巣鴨屋敷跡碑
巣鴨駅前
土曜日とあって賑やかです
真性寺(しんしょうじ)の地蔵菩薩
芭蕉句碑もあります
旧中山道である巣鴨地蔵通商店街を入っていきます
実は巣鴨地蔵通に入るのは初めてです(^^;
高岩寺(こうがんじ)
地蔵尊は「とげぬき地蔵」で有名です
洗い観音
ちなみに「とげぬき地蔵」は本堂に安置されており,こちらは「とげぬき地蔵」ではありません
自分の病の場所を水で洗い,タオルで拭くと病が治ると言われています
タオルはすぐ横で売っています(^^;
庚申塚(こうしんづか)
都電で唯一残る荒川線(あらかわせん)の「庚申塚」電停
都電の踏切を越えると人通りがぐっと少なくなり静かな旧道になります
千葉県野田市(のだし)発祥の「ホワイト餃子」の技術連鎖店である「ファイト餃子」
古民家を見つけました
写真下は東京種苗
JR板橋駅(いたばしえき)近くにある近藤勇(こんどういさみ)の墓
JR板橋駅
板橋区のかなりギリギリの場所にあり,この駅を越えるとやっと板橋区入り…という感じになります
旧道はこのまま直進するような感じですが,国道17号が行く手を阻みます
(信号で渡ればいいだけですが(^^; )
上を通るのは首都高速5号線
国道17号を渡ると第1宿場・板橋宿(いたばししゅく)の宿内に入ります.
中山道第1宿場の板橋宿
商店街を進んで行きます
東海道第1宿場の品川宿(しながわしゅく)に似ているかも…
東光寺と宇喜多秀家の墓
観明寺(かんみょうじ)の入口にある庚申塔
懐かしい銭湯がありました
中山道からちょっと脇道を入ったところにある平尾脇本陣跡碑
中山道道標と案内板
中山道は昔「中仙道」と書き,さらにその昔は「仲仙道」と書いていました
遍照寺(へんしょうじ)
昔は馬つなぎ場として賑わっていたそうです
板橋宿本陣跡
本陣跡反対側にある高野長英ゆかりの地
今は石神医院になっています
文殊院
板橋宿中宿脇本陣跡碑
宿場(地名)の由来となった板橋(いたばし)
板橋から見た石神井川(しゃくじいがわ)
板橋上宿碑
縁切榎(えんきりえのき)
男女の縁だけでなく断酒の願いも成就するそうです
環七通り(かんななどおり)との交差
陸橋の坂の途中にあるため,クルマだと通り抜けできません(^^;
しばらく歩くと国道17号に合流し,ひたすら国道を歩きます
志村一里塚(しむらいちりづか)
江戸から3番目の一里塚
昭和8年に国道拡張工事をしているにも関わらず,両側の榎が残っている貴重な一里塚
エッソの看板がなかったらカンペキだったんですが(^^;
齋藤商店
昭和8年の国道拡張工事の際に建てられたもの
志村坂上(しむらさかうえ)交差点
ここは斜め左折の細い道を進みます
大山道道標と庚申塔
清水坂碑
ここから下り坂とカーブが続きます
一時的に右手に富士山が見える区間があるため,中山道唯一の「右富士」と呼ばれた名所です
今では家やマンションに阻まれて富士山は見えませんが…(^^;
坂を下ったところ
ここを右折し,都営三田線(とえいみたせん)の下をくぐります
国道17号と合流し,すぐ環八通り(かんぱちどおり)を渡ります
環八通りを渡ったら細道に入りますが,少し進むと国道17号に合流します
舟渡(ふなと)交差点
このあと,橋で荒川を渡ります
戸田橋(とだばし)で荒川を渡ります
橋の途中で埼玉県戸田市(とだし)に入ります
橋を渡ったらすぐ右折します
旧中山道はここを左折しますが,寄り道して直進します
右上の方に見える碑に行きたいんですが…
階段がないので回り道して行きます…
回り道の途中にある水神宮
戸田の渡し跡
明治8年に戸田橋ができるまでは船で渡っていました
旧道に戻り進んで行くと川に阻まれます
旧道は直線的に結んでいたようですが,橋がないので回り道します
民家の間の狭い道を進んでいきます
ちょっとだけ曲尺手(かねんて)になっています
国道17号に合流
この先の交差点を直進するのが中山道ですが,今日はここで終了…
交差点で左折します
この交差点には一里塚があったそうですが,それらしい碑や看板はありませんでした…
JR戸田公園駅(とだこうえんえき)に到着
今日はここで終了です
第2宿場・蕨宿(わらびしゅく)の手前まで来ました.
五街道最後の旅…まだ始まったばかりですが,ゴールの京都を目指して少しずつ進めていきたいと思います.
現在地:(2)蕨(の手前)
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:16.0km
今回歩いた歩数:32,984
残り宿場:68/70 ※「70」はゴール(三条大橋)を含めた数
残り距離:517.9km/533.9km
※次回の日記はコチラ
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