中山道の旅5thシーズン・その11(鳥居本~愛知川)

2018年4月21日土曜日

[歩]中山道六十九次

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中山道の旅5thシーズン・その11
((63)鳥居本(とりいもと)~(64)高宮(たかみや)~(65)愛知川(えちがわ))
晴れ

まだ4月だというのに、予想最高気温は25度。
今日の旅は予想以上に暑くなりそうです。。
前回のゴール地点、フジテック前駅(ふじてっくまええき)からスタート!
斜め左折して旧道に入ります
「おいでやす彦根」のオブジェクトがお出迎え
ここから彦根市(ひこねし)です

赤玉神教丸本舗(あかだましんきょうがん)
下痢止めが有名です

道中合羽の「木綿屋」
旧本陣 寺村家
鳥居本駅(とりいもとえき)
昭和6(1931)年に造られた駅舎

脇本陣跡
合羽所 松屋
専宗寺(せんしゅうじ)
彦根道道標
「右彦根道 左中山道 京いせ」と書かれています

鳥居本宿を抜け、のどかな道を進みます
ほどなく小野集落に入ります
小野小町塚(おのこまちづか)
新幹線のガード下をくぐります
原八幡神社にあるひるね塚と白髪塚
大堀橋と袂にある万葉歌碑
石清水神社(いわしみずじんじゃ)と参道途中にある扇塚(おうぎつか)
常夜灯を見つつ踏切を渡ります

この辺りから第64宿・高宮宿(たかみやしゅく)に入ります。
木之元分身地蔵
布惣跡
今は「座・楽庵」という喫茶店になっています

高宮神社と芭蕉句碑
多賀大社一の鳥居
芭蕉の紙子塚(ばしょうのかみこづか)
塩谷脇本陣跡
小林本陣跡
円照寺(えんしょうじ)境内にある止鑾松(しらんのまつ)と徳川家康腰掛石
高宮橋(たかみやはし)とむちん橋地蔵
渡り賃不要であったことからむちん橋(むちんはし)とも呼ばれました

中山道松並木
「また おいでやす」のオブジェ
ここまでが彦根市です

木陰が多く、暑さが少しだけ和らぎます
休憩所があったのでここで一休み
旧豊郷小学校
昭和12(1937)年建設で、当時では珍しい鉄筋コンクリート製でした
町長リコール問題や「けいおん!」で有名(?)です

飛び出し坊やもけいおん!仕様
若干関係ないものも混じっていますがw

間の宿碑と「一里塚の郷 石畑」の碑
実際には一里塚はここにはなかったそうです

豊郷町役場前交差点
ここが石畑一里塚付近ですが、それとわかるような石碑はありません…

「くれない園」と伊藤長兵衛屋敷跡碑
伊藤忠兵衛記念館
初代伊藤忠兵衛の旧邸です

金田池
又十屋敷と、なぜかここにある一里塚址碑
上の石畑一里塚の石碑がここにありました

千樹寺門前にある江州音頭発祥地碑
普門寺と裏手にある将門首塚
愛知川宿の冠木門(?)が見えてきました

ここから第65宿場・愛知川宿(えちがわしゅく)に入ります。
旧田中家住宅
現在は料亭「近江商人亭」になっています

愛知川宿北入口の碑
ここからが愛知川宿内です

ポケットパークにある愛知川(広重絵)と黒い書状集箱
この書状集箱は郵便ポストとして機能しています

本陣跡
現在は日本生命の事務所になっています

八幡神社入口にある高札場跡碑
この空き地が脇本陣跡のようです
問屋跡
旧旅籠竹平楼
明治天皇御聖蹟碑
南側の愛知川宿冠木門
ここまでが愛知川宿内で、国道8号に合流します

国道8号と合流した場所にある愛知川一里塚
江戸から122番目の一里塚

御幸橋
ここも無賃で渡れたことより「無賃橋」と呼ばれたそうです

御幸橋の袂にある祇園神社と常夜灯
御幸橋を渡ってすぐ左折します
常夜灯があるところを斜め右折します
中山道は直進ですが、今日は中断して左折
五箇荘駅(ごかしょうえき)に向かいます


今日は愛知川宿を抜け、五箇荘駅まで着きました。
日差しが強くて暑かったですが、時々吹く風が心地よかったです。

現在地:(65)愛知川
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:13.8km
今回歩いた歩数:33,420

残り宿場:5(+3)/70 ※「70」はゴール(三条大橋)を含めた数、カッコ内は大井宿~御嶽宿間の数
残り距離:55.6(+31.4)km/533.9km ※カッコ内は大井宿~御嶽宿間の距離

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