奥州街道の旅・その2(白澤~喜連川)

2012年12月9日日曜日

[歩]奥州街道

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※前回の日記はコチラ

奥州街道の旅・その2
((18)白澤(しらさわ)~(19)氏家(うじいえ)~(20)喜連川(きつれがわ))
晴れ所により小雨

奥州街道の旅の第1回目だった前回はまさかの降雪コールドに終わってしまいました.
関東北部ということでこの時期雪が多い地域ではあるものの,「まだ大丈夫だろう…」と思ったのが甘かったようです.
(ちなみにその日が今シーズン初雪だったそうです)

ということで,今回は前回中断した場所からのスタートです.
前回中断した国道119号(宮環(みやかん))との交差点までバスで向かい,ここから再開!
稚児ケ坂(ちごがさか)(バス停名は「稚ヶ坂(ちがさか)」)を上ります
「ここから白澤宿内」と書かれた看板
白澤宿内はこうした看板が多く,奥州街道を偲ぶことができます

ここは直進して旧道へ
旧道に入った途端急にクルマの数が少なくなります

白沢地蔵堂
源頼朝の命を受け,井沢家景が東北に向かう途中に上の写真にある稚児ケ坂で子供を亡くしてしまい,その子供をここに葬ったそうです

寿老人(じゅろうじん)像
「白澤宿七福神巡り」と銘打って,白澤宿内には七福神の像があります

漢方の薬種を砕く舟形の器具薬研(やげん)の形に似ていることから名付けられた薬研坂(やげんざか)
江戸時代の公衆便所
こんなものが残されているなんて…(^^;

白沢宿交差点
わかりやすい名前!(w
ここを左折すると白澤宿内です…が,

交差点を右折してすぐ左折してしばらく行くと須賀神社
ここには弁財天(べんざいてん)像があります

白澤宿内へ
東海道の宿でも見られた屋号の看板がここでも見られました

両脇に水路があり,小さいながら水車もありました
長い石段の参道を登っていきます
頂上からの眺めは右の写真のような感じ

石段を登った先は白髭神社(しらひげじんじゃ)
ここには大黒天(だいこくてん)像があります

番所
要するに交番です(^^;

その交番…いや番所の隣にある宇加地家本陣跡
明星院と布袋(ほてい)尊像
薬師堂と毘沙門天(びしゃもんてん)像
白澤宿の北入口にある松の古木
北野神社と恵比寿(えびす)像
ここは直進して旧道を行きます
西鬼怒川橋
西鬼怒川橋の脇にある鬼怒川の渡し
草ぼうぼうでよくわかりません(^^;

白沢川原バス停と脇にある開田之碑
宇都宮駅からのバスはここで終点で,ここから先は氏家駅近くまでバスがありません
覚悟を決めて(?)歩いて行きます

白沢川原バス停のすぐ奥にある白澤一里塚碑
江戸から30番目の一里塚
奥州街道白澤宿の会の方々が最近建てた碑です
一里塚碑のそばには福禄寿(ふくろくじゅ)像があり,これで白澤宿七福神巡りは終了です


白澤宿は国道4号やJR東北本線(宇都宮線)のルートから外れたこともあり,昔ながらの街並みが残っており,奥州街道に関する案内板も多いので「奥州街道を旅している」という感じが強いです.
この先,氏家(うじいえ)で一旦JR東北本線と合流しますが,その後は奥州街道の終点の白河まではまたJR東北本線(や国道4号)とは離れたルートになり,昔ながらの街並みになりそうです.

そんな白澤から,一路氏家へ向かいます.
鬼怒川(きぬがわ)の堤防まで到着
ここを左(上流側)に進みます

鬼怒川の渡し跡
昔はここから舟で向こう側に渡ったのでしょう…

今はここでは渡れないので,少し上流側にある橋を渡ります
阿久津大橋(あくつおおはし)で鬼怒川を渡り,さくら市(旧:氏家町)に入ります
与作稲荷神社
狛犬の代わりにキツネが祀られています

船玉神社(ふなだまじんじゃ)
鬼怒川を渡る船の船頭さんの水上安全の守護神としてまつられたそうです

浮島地蔵(うきしまじぞう)
鬼怒川の大水でも浮いて出てきたと言われています

高尾神社(たかおじんじゃ)
ここの狛犬は可愛らしい表情をしています

将軍地蔵(しょうぐんじぞう)
ここから日光山に修行に行くお坊さんが,山伏にそうめんを無理矢理食べさせられて気絶したことより「そうめん地蔵」とも呼ばれています

この辺りを斜め右方向に奥州街道が続いていたそうなのですが,今では工場が阻んでいます
上の写真の少し先のベイシア入口から迂回しますが,その前にちょっと寄り道…
さくら市ミュージアム
勝山城址 本丸大手口跡
こちらは本丸搦手(からめて)口跡
二ノ丸南郭からの鬼怒川の眺め
ここは「釜が淵」と呼ばれ,「竜宮城伝説」と「雪姫と紅葉姫」の2つの伝説が残されている

旧森家長屋門
旧大島家住宅と旧手塚家板倉
奥州街道に戻り,ここを斜め左折
写真下は反対を向いて撮影.直進方向が奥州街道跡と思われます

お伊勢の森
奥州街道道標
この辺りから氏家宿内に入っていきます

川原石塔婆
その字のごとく,川原の石に梵字が書かれています

こんなところに正嗣が…
ということで,今日は水餃子です

この辺りに氏家宿本陣があったそうです
西導寺(さいどうじ)
西導寺の裏手にあるつた地蔵
氏家駅(うじいええき)
前回はここがゴールになるはずでした
今回は途中から始めているので,もう少し歩きます

光明寺(こうみょうじ)
山門をくぐると正面に不動明王がお出迎え

上町交差点
ここは奥州街道と会津中街道の分岐点で,奥州街道はここを右折しますが,ちょっと寄り道して直進…

小学校の校庭をお邪魔して…
御前(ごぜん)城跡

仙禽酒造(せんきんしゅぞう)
文化3年(1806年)創業で200年以上の歴史があります

今宮神社楼門(いまみやじんじゃろうもん)
裏側にはハート形に並べられた絵馬が…


氏家の街並みの寄り道を終え,奥州街道に戻って喜連川(きつれがわ)を目指します.
現在午後3時頃.だんだん日が傾いてきました….
奥州街道に戻り,思案橋(しあんはし)を渡ります
瀧澤家住居(たきざわけじゅうきょ)長屋門と蔵座敷(くらざしき)
国道293号と合流
ここから喜連川までは国道293号を進みます

狭間田一里塚(はさまだいちりづか)
江戸から32番目の一里塚
民家の塀の中にあります

夕日が綺麗な時間になってきました…
この分岐は直進して旧道を進みます
その分岐点の手前にある水準点
水準点の隣にはナゼか大黒様
明治時代に測量をしたとき,たまたまあった大黒様に水準記号を刻んでしまったそうです

この道は間違いなく奥州街道です
早乙女坂
弥五郎坂とも呼ばれています

早乙女坂古戦場跡と弥五郎殿
宇都宮氏と那須氏の戦いで活躍した鮎ケ瀬弥五郎から坂の名前にもなっています

早乙女温泉
ここでひとっ風呂入りたいところでしたが,断念..

セブンハンドレッドクラブ(ゴルフ場)
早乙女坂の頂上です

奥州街道古道
もう真っ暗で入る気になれません└|゚ロ゚;|┘


本当はもう少し先まで行って喜連川宿(きつれがわしゅく)の宿内まで行きたかったのですが,日没の時間になったので今日はここで終了..
寄り道をしすぎたのかも知れません(^^;
が,今回は見どころが多く,歩数もかなり稼ぎました.

今年の奥州街道の旅は(おそらく)今回で終了.
年明け,雪が降らなければ再開するかも知れませんが,どうなることやら….

現在地:(20)喜連川
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:18.6km
今回歩いた歩数:46,242歩

残り宿場:7/27
残り距離:59.8km/191.8km

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