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甲州街道の旅・その3
((8)府中(ふちゅう)~(9)日野(ひの)~(10)横山(よこやま)~(11)駒木野(こまぎの))
晴れ
10月になって秋らしい陽気になってきた…と思ったら,この日の予想最高気温は真夏日の31度!
この旅に行くか行かないかの基準を「最高気温が28度以下」としていたので行くのをためらいましたが,「夕方は涼しくなる」との予報だったので強行することにしました.
前回のゴール地点の柴崎体育館(しばさきたいいくかん)駅から再開!
新奥多摩街道(しんおくたまかいどう)との交差点も直進して突き当たりまで行きます
突き当たりのところにある日野渡し跡碑
碑の上にあるのは舟をイメージしているそうです
細い道を進んで多摩川(たまがわ)の土手まで来ました
ちょうどこの位置に日野の渡しがあったそうですが,今ではそれを思わせるものは残っていません
日野の渡しは,現在の甲州街道(旧国道20号,現都道256号)の日野橋(ひのばし)が架かるまで多摩川を渡るための手段として使われました.
しばらくは日野橋がその役目を果たしてきましたが,最近では近くに立日橋(たっぴばし)が架かり,旧甲州街道の道のりとしてはこちらのほうが近いルートになりました.
ということで,立日橋に迂回します
この道は広いですが,制限速度が40kmです
この日も白バイが何台も走っていたので,クルマの方はご注意を…
コンクリートの堤防が途切れているところ辺りが日野の渡し
遠くに見えるのは日野橋です
日野市(ひのし)に入りました
この交差点は斜め右折方向が旧甲州街道ですが,ちょっと寄り道してモノレールに沿って斜め左折します
甲州街道駅
現在の甲州街道沿いにある駅ですが,旧甲州街道からは離れています
とはいえ,五街道の名前がついた唯一の駅ということで…
万願寺(まんがんじ)一里塚跡
江戸から9番目の一里塚
甲州街道からかなり離れた場所にありますが,日野の渡しとは別に万願寺の渡しもあり,万願値の渡しを通ったときのルート上に当たるそうです
旧甲州街道に戻り,日野市内に入っていきます
日野市内を歩いていると,こういった説明板や写真が多く貼られており,当時を偲ぶことができます
東京都内に唯一現存する日野宿本陣(ひのじゅくほんじん)
なんか料亭っぽい看板ですが(^^; 蕎麦屋だったものを日野市が買い取ったそうです
中を見学することができます
日野図書館前にある「甲州街道日野宿 問屋場・高札場跡」碑
ガソリンスタンドの隅っこにあった「かねこばし」の柱
八坂神社(やさかじんじゃ)
日野駅前東交差点を左折します
宝泉寺(ほうせんじ)
宝泉寺の駐車場にある,新選組六番隊組長,井上源三郎(いのうえげんざぶろう)の碑と墓
この周りの墓はすべて「井上家」なのですが…たぶんこれで合ってると思います(^^;
宝泉寺の前の坂を上ったところにある坂下地蔵堂
なぜ坂を上ったところにあるのに「坂下」地蔵堂!?(この謎は後でわかります)
本来はここは斜め右折ですが,JR中央線が行く手を阻んでいるので回り道します
線路の反対側
踏切があった頃の写真がありました
中央線ができた後も,しばらくは道のりが確保されていたようです
中央高速の下を抜け,長い長い上り坂を上っていきます
先ほどの「坂下地蔵堂」は,この長い坂道を考えると「坂下」だったわけです
坂を上りきると現在の甲州街道と合流
日野自動車の工場脇を歩きます
日野台(ひのだい)一里塚跡
江戸から10番目の一里塚
今では榎は植えられていませんが,日野自動車の看板がそびえ立っています(^^;
八王子市(はちおうじし)に入り,国道20号とやっと合流しました
大和田橋(おおわだばし)
この橋は太平洋戦争終結直前にB29による爆撃を受け,その焼夷弾の跡が残っています
大和田橋を渡ってすぐ右折
国道20号と合流したばかりですが,ちょっとだけお別れです
斜め左折して細い道に入ります
竹の花公園入り口にある竹の鼻(たけのはな)一里塚跡碑
江戸から11番目の一里塚
(案内板には「12里」とありましたが,11番目のはずです)
公園の名前は「竹の花」ですが昔の地名は「竹の鼻」だったそうです
永福稲荷神社とその裏にある芭蕉句碑
頑丈に守られているんですが,何かあったんでしょうか…
細い道を進み,国道20号と再度合流します
国道20号と再度合流した辺りから第10宿場・横山宿(よこやましゅく)に入ります.
八王子市内には横山宿や八日市宿(ようかいちしゅく)など15の宿場があり,八王子十五宿とも呼ばれ甲州街道で最大の宿場町でした.
今回の旅では15の宿場を合わせて「横山宿」とします.
八王子は今も昔も甲州街道最大の街ですが,本陣跡などは残っていません
「横山宿」の碑のようなものもないので,とりあえずこれで(^^; (神奈中バージョン)
八王子市夢美術館前にある八日市宿跡碑
八日市宿跡碑があるなら横山宿跡碑もあってもいい気がするんですが…(^^;
カメ(←本物)に乗った女の子がいました(^^;
追分町(おいわけちょう)交差点
国道20号と陣馬街道(じんばかいどう)との追分
大和田橋で分岐した道ともここで合流します
追分から甲州街道西方向を望む
ここから先にある武蔵陵墓地ができたときに植えられた銀杏並木
11月過ぎになると見事な風景になります
新宿三丁目にあった追分交番がここにもありました
(新宿三丁目のほうは甲州街道と青梅街道の追分です)
その交番そばにあったはずの道標はちょっと先に移動されてました
陣馬街道入口にある千人同心(せんにんどうしん)屋敷跡記念碑
徳川家康が組織したといわれる八王子千人同心の本拠
今でも「千人町(せんにんちょう)」という地名が残っています
「高札場」とありますが…町内会の掲示板でしょうか(^^;
長房団地入口(ながぶさだんちいりぐち)交差点を右折したところにある高尾山道標(たかおさんどひょう)
このあたりに散田(さんだ)一里塚跡があったそうですが,それを示す跡はありませんでした
高尾山道標があるところを左折し,細い道を進みます
並木町交番にある万葉歌碑入口の碑
この先に万葉公園があります
市役所横山事務所の駐車場にある大衝羽根樫(おおつくばねがし)
武蔵陵墓地参道の碑
「旧甲州道中」の看板に従って斜め右折します
歩道の部分のみ特殊な舗装になっていてその気にさせてくれます
古い民家もあり,都内にいながら昔を感じさせます
町田街道入口(まちだかいどう)交差点
大きな街道同士の交差点の都内西端
ここから先は交通量が減っていきます
熊野神社(くまのじんじゃ)
写真下は樫と欅が根元で一緒になった縁結びの木
高尾駅前(たかおえきまえ)交差点
甲州街道はここを直進ですが,今日はここで左折して終了です
高尾駅と名物(?)の天狗のオブジェ
お昼の12時頃が暑さのピークでしたが,その後は涼しくなり,歩きがいがありました.
とはいえ,さすがに暑さピークのときは倒れたりしないよう水分を十分にとりながら歩きました.
甲州街道の旅3日めにしてようやく都県境の直前まで来ました.
次回はいよいよ都県境を越えます.
現在地:(11)駒木野(の手前)
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:13.7km
今回歩いた歩数:31,821歩
残り宿場:34/45 ※「45」はゴール(下諏訪)を含めた数
残り距離:161.9km/210.8km
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