※前回の日記はコチラ
(1周目の同区間の日記はコチラ)東海道五十三次の旅(2周目)・その30
((39)三河国・池鯉鮒(ちりゅう)~尾張国・有松(ありまつ))
晴れ
前々回の御油宿(ごゆしゅく)から岡崎宿(おかざきしゅく)の旅では久々の歩き旅でペース配分を間違えてしまい、前回の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)の旅で遅れを取り戻しました。
今回は少し短めで、池鯉鮒宿と次の鳴海宿(なるみしゅく)の間にある間の宿・有松(ありまつ)を目指します。
工事中の知立駅(ちりゅうえき)からスタート!
前回の中断地点を左折して再開!
池鯉鮒宿本陣跡碑
左側にある目立つ石碑は明治天皇行在所聖蹟碑
知立古城址
ここにも明治天皇御小休止址碑があります
知立公園
芭蕉句碑
なかなか見つからなくて探しました(知立神社に近い場所にあります)
「不断堂川 池鯉鮒の宿農 木綿市」と刻まれています 知立神社(ちりゅうじんじゃ)
総持寺(そうじじ)
総持寺入口にある於萬の方(おまんのかた)誕生地碑
逢妻橋(あいづまはし)
刈谷市(かりやし)に入ります
京都(きょうと)の1つ手前である大津(おおつ)まで146km
京都までだいぶ近づきました
刈谷一里塚
江戸から85番目の一里塚
歩道橋の陰に碑があるので気をつけていないと見過ごしてしまいます
洞隣寺(とうりんじ)と境内にある中津藩士の墓(左)とめったいくやしいの墓(右)
いもかわうどん発祥地の碑
「ひもかわうどん」として東に伝わりました
乗蓮寺(じょうれんじ)と樹齢800年のスダジイ
愛知県道282号を渡りますが、横断歩道がないので歩道橋を渡ります
立体交差なので歩道橋の高低差は少なめ
その先の国道1号も横断歩道がないので地下道を通ります
境橋で豊明市(とよあけし)に入りますが、ここが三河国(みかわのくに)と尾張国(おわりのくに)の境です。
いよいよ尾張国に入ります!
境橋の傍らにある烏丸光廣歌碑
豊明駅(とよあけえき)
豊明市の市名を冠する駅ですが、駅の周りは静かです
隣の前後駅(ぜんごえき)のほうが賑やかです
隣なのに「前後」とはややこしい(w
ここを斜め左折して旧道に入ります
阿野一里塚
江戸から86番目の一里塚
珍しく左右現存します
一里塚の中にある森市雪句碑
前後駅前(ぜんごえきまえ)交差点
旧東海道は直進ですが、今日はここで中断
前後駅前交差点の次の交差点で左折します
前後駅でゴール!
今日は短めに、間の宿・有松の手前である前後駅でゴールしました。
次回やいよいよ七里の渡し(海路)の愛知県側である宮宿(みやしゅく)を目指します。
現在地:有松(の手前)
今回進んだ宿場:0
今回進んだ距離:6.7km
今回歩いた歩数:19,867歩
残り宿場:15/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:155.9km/492.1km
総持寺入口にある於萬の方(おまんのかた)誕生地碑
逢妻橋(あいづまはし)
刈谷市(かりやし)に入ります
京都(きょうと)の1つ手前である大津(おおつ)まで146km
京都までだいぶ近づきました
刈谷一里塚
江戸から85番目の一里塚
歩道橋の陰に碑があるので気をつけていないと見過ごしてしまいます
洞隣寺(とうりんじ)と境内にある中津藩士の墓(左)とめったいくやしいの墓(右)
いもかわうどん発祥地の碑
「ひもかわうどん」として東に伝わりました
乗蓮寺(じょうれんじ)と樹齢800年のスダジイ
愛知県道282号を渡りますが、横断歩道がないので歩道橋を渡ります
立体交差なので歩道橋の高低差は少なめ
その先の国道1号も横断歩道がないので地下道を通ります
境橋で豊明市(とよあけし)に入りますが、ここが三河国(みかわのくに)と尾張国(おわりのくに)の境です。
いよいよ尾張国に入ります!
境橋の傍らにある烏丸光廣歌碑
豊明駅(とよあけえき)
豊明市の市名を冠する駅ですが、駅の周りは静かです
隣の前後駅(ぜんごえき)のほうが賑やかです
隣なのに「前後」とはややこしい(w
ここを斜め左折して旧道に入ります
阿野一里塚
江戸から86番目の一里塚
珍しく左右現存します
一里塚の中にある森市雪句碑
前後駅前(ぜんごえきまえ)交差点
旧東海道は直進ですが、今日はここで中断
前後駅前交差点の次の交差点で左折します
前後駅でゴール!
今日は短めに、間の宿・有松の手前である前後駅でゴールしました。
次回やいよいよ七里の渡し(海路)の愛知県側である宮宿(みやしゅく)を目指します。
現在地:有松(の手前)
今回進んだ宿場:0
今回進んだ距離:6.7km
今回歩いた歩数:19,867歩
残り宿場:15/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:155.9km/492.1km
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