東海道五十三次の旅(2周目)・その31(有松~宮)

2024年11月6日水曜日

[歩]東海道五十三次・2周目

t f B! P L

※前回の日記はコチラ

(1周目の同区間の日記はコチラ

東海道五十三次の旅(2周目)・その31
(有松(ありまつ)~(40)鳴海(なるみ)~(41)宮(みや))
曇り

今回の旅ではいよいよ愛知県の中心地・名古屋市(なごやし)に入り、そして愛知県内の東海道五十三次最後の宿場である宮宿(みやしゅく)を目指します!
前回のゴール地点である前後駅(ぜんごえき)から再開!
旧東海道道標
中京競馬場入口
現代は馬がここで戦いを繰り広げています
看板がありませんが、この辺りから名古屋市(なごやし)に入ります

桶狭間古戦場
1560(永禄3)年の桶狭間の戦いの古戦場です

桶狭弔古碑
今川義元公の墓(佛式)
ナゼか今川義元の墓「その二」と紹介されています

高徳院
高徳院境内にある今川義元公本陣跡の碑
ここを斜め左折します

間の宿・有松(ありまつ)に入ります。
有松は有松絞りで有名です。
赤色と青色の有松絞りの暖簾が掛かっています
昔ながらの町並みが続きます
有松山車会館
有松にはこのような山車を格納する山車庫が3つあります

有松・鳴海絞会館
有松町役場跡地になっています

服部(はっとり)家住宅(写真上)と服部幸平(はっとりこうへい)家住宅の倉(写真下)
棚橋(たなはし)家住宅
井桁屋(いげたや)
中濱(なかはま)家住宅
唐子車 山車庫(からこしゃ だしこ)
ここにも山車庫があります

中舛竹田荘
現在はデイサービスになっています

竹田(たけだ)家住宅
レトロな町並みに似合う丸形ポストもあります
岡(おか)家住宅
小塚(こづか)家住宅
東海道五十三次二代目松
神功皇后車 山車庫(じんぐうこうごうしゃ だしこ)
有松の出口にある有松一里塚
江戸から87番目の一里塚
一度は取り壊されましたが、その後地元の方々により2012(平成24)年に復元されました

国道302号(名二環(めいにかん))をくぐり、名鉄名古屋本線を渡ります
名古屋市内の東海道沿いにはこのようなパネルが埋め込まれています

間の宿・有松を過ぎると程なくして第40宿場・鳴海宿(なるみしゅく)に入ります。
昔ながらの町並みが残る有松と比較すると、鳴海宿は昔を偲ぶもがあまり残っていません。
鳴海宿入口にある常夜灯
中島砦跡
ここは曲尺手状になっています
曲尺手のところにある千代倉歴史館
誓願寺(せいがんじ)と芭蕉最古の供養塔
三菱UFJ銀行前にある鳴海宿高札場(復元)
成海神社旧社地
ここは鳴海城址でもあります
鳴海宿本陣跡
鉾ノ木貝塚(ほこのきかいづか)
看板がないと入るのをためらうような細道を入ります
結構な急坂です

千句塚公園の入口ですが、公園には入らずその脇を進みます
千鳥塚
芭蕉生前に建てられた唯一の塚です

千句塚公園からの眺め
天白橋(てんぱくはし)
笠寺一里塚
江戸から89番目の一里塚

笠寺観音(かさでらかんのん)(笠覆寺(りゅうふくじ))
千鳥塚(左)と宮本武蔵之碑(右)
千鳥塚には「星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥」と刻まれています

再び名鉄名古屋本線を渡ります
踏切を渡ってすぐを右折します
「是より北よびつき」の道標が目印です

白毫寺(びゃくごうじ)
白毫寺の脇にある年魚市潟(あゆちがた)景勝碑
この「年魚市潟」が「愛知(あいち)」の語源と言われています

山崎の長坂を下ります
それほど急な坂ではありません

山崎橋を渡ってすぐ左折します
松田橋(まつだばし)交差点
ここで急に名古屋の都会感が出てきます

東海道踏切でJR東海道本線を渡ります
JR東海道本線とは、遙か先の滋賀県草津駅(くさつえき)近辺までお別れです

熱田橋(あつたはし)
名鉄常滑線(とこなめせん)の下をくぐります
伝馬町一里塚
江戸から90番目の一里塚


この辺りから愛知県最後の宿場である第41宿場・宮宿(みやしゅく)に入ります。
宮宿は熱田宿(あつたしゅく)とも呼ばれ、熱田神宮の門前町として、そして七里の渡しの尾張側玄関口として栄えました。
裁断橋址碑
前回来たときは日が暮れて真っ暗でしたが、今回は明るい内にたどり着きました

裁断橋址の隣にある都々逸発祥之地碑
突き当たりにある三叉の道標
東海道、美濃路(みのじ)、佐屋街道(さやかいどう)の分岐点です
ここを左折します

突き当たりにあるほうろく地蔵
愛知県道55号を交差しますが、横断歩道がないので歩道橋を渡ります
ひつまぶしで有名なあつた蓬莱軒本店
夜の部の開店16:30の30分前でしたが既に人が並んでいます


ついに七里の渡し跡に到着!
当時の旅人は、この先三重県の桑名宿(くわなしゅく)への約7里(約27.3km)は船で渡っていました。
宮の渡し公園として整備されています
時の鐘
熱田湊常夜灯
七里の渡し船着場跡
隣にはクルーズ船の乗り場がありますが、周辺を回るのみで桑名までは行けません
熱田荘(写真上)と丹羽家住宅(旅籠屋伊勢久)(写真下)
丹羽家住宅のほうは解体修理中でした


七里の渡しまでたどり着きました。
前回は池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)からスタートし、距離が長かったこともあり七里の渡しに着いた頃には真っ暗でしたが、今回は有松からのスタートだったので余裕もって七里の渡しに着くことができました。

東海道の次の宿場は桑名宿ですが、そこまでは船では行けません。
電車で進むのも味気ないので、今回も桑名宿まで陸路を進もうと思います。
その様子は次回へ…。

現在地:(41)宮
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:10.8km
今回歩いた歩数:38,258歩

残り宿場:13/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:145.1km/492.1km

※次回の日記はコチラ

ブログ アーカイブ

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
旅行好きのオッサンです.

contact

名前

メール *

メッセージ *

QooQ