佐屋街道の旅(2周目)・その1(宮~西條)

2024年11月9日土曜日

[歩]東海道五十三次・2周目

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※前回の日記はコチラ

(1周目の同区間の日記はコチラ

佐屋街道の旅(2周目)・その31
((41)宮(みや)~西條(にしじょう))
曇り

前回の日記で宮宿(みやしゅく)の七里の渡しまでたどり着きました。
宮宿から次の桑名宿(くわなしゅく)までは東海道唯一の海路ですが、今回は(今回も)脇往還である佐屋街道(さやかいどう)、巡見街道(じゅんけんかいどう)を通って桑名宿まで進みたいと思います。
ということで、三叉の道標 まで戻り、佐屋街道方面に進みます
いきなり国道1号に行く手を阻まれるので歩道橋に迂回します
写真下で直進が国道1号方面、右折が国道22号で、佐屋街道は途中まで国道22号を進みます

あつた蓬莱軒 神宮店
こちらにも蓬莱軒があります
こちらのほうが空いている印象でした(それでも多少並びますが…)

熱田神宮
前回行ったときは真っ暗でしたが、今回は明るいうちにお参りができました

下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)
熱田七社のうちの一つです
熱田神宮境内からは直接行けず、一旦境内を出て国道22号を進む必要があります

熱田神宮第二神門址碑
車道側を向いているので撮りづらいです

熱田神宮公園内にある断夫山古墳
東海地方最大の前方後円墳だそうですが、木に隠れていて全貌はつかめません

妙安寺(みょうあんじ)
境内に芭蕉句碑があるはずですが、辺りが暗くなってしまい怪しまれそうなので退散…

熱田神宮第一神門址碑
こちらも車道側を向いています…

佐屋街道道標
「南 左 さや海道 つしま道」、「西 右 宮海道 左 なこや道」、「東 右 木曽 なこや海道」と刻まれています

金山新橋南交差点
佐屋街道はここを左折ですが、暗くなったのでこの日はここで中断
右折して金山駅(かなやまえき)に向かいます

金山駅でこの日はゴール!

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2日め
金山駅からスタート!

金山新橋南交差点を左折して再開!
尾頭橋(おとうはし)
唯然寺(ゆいねんじ)
唯然寺脇にある五女子一里塚碑
「五女子」は「ごにょうし」と読みます

佐屋街道にもこのようなパネルが埋められています
佐屋街道碑と案内板
明治天皇駐蹕之所(めいじてんのうちゅうれんのところ)碑
ファミリーマートの駐車場の一角にあります

長良橋(ながらはし)
近鉄烏森駅
「烏森」と書いて「かすもり」と読みます
近鉄の駅を見るといよいよ関西に近づいてきたと感じます

岩塚(いわつか)宿場跡
宮宿から佐屋街道を進んで最初の宿場です

岩塚宿場跡にある光明寺(こうみょうじ)
しばらく歩くと庄内川に行く手を阻まれるので手前で迂回します
迂回するところにある七所社(しちしょしゃ)
七所社境内にある日本武尊腰掛岩
万場大橋(まんばおおはし)で庄内川を渡ります
橋を渡ったらすぐ左折します
万場宿跡
佐屋街道2番目の宿場です
ここに架かっていた橋の欄干石が置かれています

少し進んで右折します
右折するところの左側に舟渡し場や橋がありました

国玉神社・八劔社合殿(くにたまじんじゃ・はっけんしゃあいどの)
光圓寺(こうえんじ)
愛知県道115号(名古屋高速5号の下)を渡ります
浅間神社
砂子橋(すなごはし)
ここは左折します
左折する場所に高札場跡碑があります

稲荷社
名二環(めいにかん)の下をくぐります
この辺りは名古屋市(なごやし)と大治町(おおはるちょう)の市町境上を歩いています

七所社神社
千音寺一里塚跡碑
市町境上を歩いていましたが、ここで大治町に入ります
狐海道東(きつねかいどうひがし)交差点で左折します
狐に化かされるような寂しい道だったため狐海道と呼ばれるようになった伝説があります

西條(にしじょう)交差点
佐屋街道はここを斜め左折ですが、今日はここで中断
右折してバス停に向かいます

大治西条(おおはるにしじょう)バス停から名古屋駅に向かい、ゴール!
地名は「西條」ですが、バス停は「西条」(にんべんがつかない)です


佐屋街道の万場宿(まんばしゅく)と神守宿(かもりしゅく)の間の西條で今日は中断しました。
東海道とは違い宿場周辺は住宅街となっていて当時を偲ぶものは少ないですが、ノンビリとした道をゆっくりと歩いていこうと思います。

現在地:西條
今回進んだ距離:13.3km ※1日め・2日めの距離
今回歩いた歩数:23,225歩 ※2日めのみの歩数

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