東海道五十七次の旅・その1(髭茶屋追分~淀)

2012年4月30日月曜日

[歩]東海道五十七次(京街道)

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※前回の日記はコチラ

東海道五十七次の旅・その1
(髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)~(55)淀(よど))
曇りのち小雨

一般的によく知られる東海道五十三次は江戸の日本橋から京の三条大橋まで、五十三の宿場を結ぶ道ですが、
本当は東海道には五十七の宿場があった!
…ということで、残りの宿場も回ることにしました。

東海道五十七次は大津宿(おおつしゅく)までは東海道五十三次と同じ道のりを進みますが、大津宿と三条大橋(さんじょうおおはし)の間にある髭茶屋追分で三条街道(さんじょうかいどう)と伏見街道(ふしみかいどう)に分かれます。
三条街道を進むと三条大橋に行け、伏見街道を進むと伏見のほうに行け、京街道(きょうかいどう)を経由して最終的には大阪の高麗橋(こうらいばし)まで行けます。
現在の国道1号の終点は京都ではなく大阪の梅田新道(うめだしんみち)ですが、終点が大阪になっているのもこの東海道五十七次を元にしているのかも知れません。
(ちなみに道路元標は現在は梅田新道交差点にありますが、昔は高麗橋にありました)

ということで、今回の旅の本当(?)のゴールは高麗橋としました。

前回の日記で「東海道五十三次の旅ゴール!」と大げさに書いてすみませんでした。。m(__)m
今回の旅はもう少しだけ続きます。

髭茶屋追分の最寄り駅の追分駅からスタート!
昨日も通った髭茶屋追分
昨日はここを直進しましたが、今日はここを斜め左折します

住宅街の細い道を進んでいきます
民家に道標があったのですが、示している方角が違うのでただ単に個人的にコレクションしているだけのようです(^^;
国道1号を横断しますが、横断歩道がないので地下道を進みます
「ひだりおヽつみち みぎうじみち」と書かれた道標
こちらは本物です(^^;

皇塚(おうつか)
大塚、王塚などとも呼ばれ、桓武天皇の墓所という伝承があるそうです

岩屋神社の鳥居
大宅(おおやけ)一里塚
片方だけですが榎が植えられていました

ここは斜め右折します
ほんと!?
(ちなみに、そば屋さんでした)

随心院
ここは小野小町ゆかりの寺で、境内には小野小町歌碑もあります

小野小町が使ったと言われる化粧井戸
この井戸の水で化粧したら綺麗になれるかしらん?(爆

しばらく名神高速と一緒に進みます
こんな感じで建造物やお店がなく、変化が乏しい道を進むのが一番ツライです…

ここは斜め右折して細道へ…
「仁明天皇御陵」、「桓武大王陵」と書かれた道標
ここは斜め左折するのですが…まさに住宅街!
地図がなかったら迷いそうです…

JR奈良線(ならせん)の上を跨ぎます
藤森神社(ふじもりじんじゃ)
墨染橋(すみぞめはし)
ここを流れるのは琵琶湖疎水です

撞木町廓(しゅもくちょうくるわ)入口
大石内蔵助が遊興したと伝えられるところですが、今はその面影はありません

国道24号と交差しますがここは直進してすぐ先を右折します
そしてもう一度左折すると両替町通
日本で最初の「銀座」が置かれた場所だそうです


江戸から54番目の宿場、伏見宿(ふしみしゅく)の宿内へ。
城下町らしく、細かく右左折を繰り返します。
左の写真では右折、右の写真では左折…
道標に従ってここは左折…
金札宮と境内にあるクロガネモチ
伏見の中心、大手筋のアーケードを横断します
西岸寺(さいがんじ)(油懸地蔵(あぶらかけじぞう))と境内にある芭蕉翁塚
電気鉄道事業発祥の地の碑
今も宿として営業している寺田屋(てらだや)
寺田屋事件が起きた場所ですが、事件当時の建物ではなく再建されたものです
ここには人がたくさんいました。。

京橋(きょうばし)と伏見口の戦い激戦地跡碑
この辺りに伏見宿の本陣があったそうです

こんなところに観月橋(かんげつきょう)の欄干が!?
(実際はもう少し東の場所にあります)

中書島(ちゅうしょじま)駅手前で右折して住宅街へ…
伏見港公園
三十石船のオブジェ(?)があります

ここは斜め右ではなく直進のはずなのですが…通行止め!?
通行止めなのは車両だけなので、そのまま徒歩で進みます
淀川(宇治川)の土手を進んでいきます
変化が乏しい道を進みますが、時折吹く風が気持ちいいです

途中、片側2車線の国道1号を横断するのですが、横断歩道も地下道もありません…
ということで、思い切って横断!
(一応、横断禁止の標識がないことは確認しました(^^; )
東海道五十三次の道のりだったらこんなことは絶対にない(必ず横断歩道か歩道橋か地下道がある)んですが…


淀川沿いの土手の道をかなり歩きましたが、江戸から55番目の宿場、淀宿(よどしゅく)に近づくと淀川から離れていきます。
土手の道を離れ、京阪本線の踏切も越えます
淀宿といえば。。見えてきましたコレ!
戊辰役東軍西軍激戦之址
淀小橋旧址碑
迷子になったワケではありません(^^;
ここが京街道のようです

与杼(與杼)(よど)神社

淀宿にちなんだ古跡は上記くらいなもので、京街道を偲ばせるようなものはほとんど残っていません。
淀といえばもう競馬のイメージしかありません(^^;
23時間前に来ていればオルフェーヴル(天皇賞・春)が見られたかも知れませんが、ホントにそんな時間に来ていたら人が多すぎて歩き旅どころではないので月曜日でよかったのかも知れません(^^;
ということで…
淀駅近辺のパーキングは、こんな感じで土日祝日は割高料金になっています。
土日は競馬が開催されるのでわかるのですが、祝日は割高にする必要があるのでしょうか。。
今日は昭和の日の振替休日で祝日ですが、割高料金のせいかクルマはほとんど駐車されていませんでした…


淀宿を離れ、どんどん先に進みます。
宿場町らしく、古民家が残っていました
京都市を離れ、八幡市(やわたし)に入ります
淀川を跨ぐ御幸橋(ごこうばし)
御幸橋から見た淀川
京街道はこの淀川を斜めにショートカットしていたようです

あれ!? もう一つ御幸橋?
こちらは木津川(きづがわ)を跨ぐ御幸橋です

京街道はここを右折するのですが、雨が降り出してきたので今日はこの少し先の八幡市駅で終了
夕食はラーメン!
げんこつ醤油味でした


髭茶屋追分から高麗橋まで約60km。
今日のうちにもう少し先の橋本(はしもと)まで進みたかったのですが、雨が降ってきて傘を持ってきていなかったのでここで終了しました。

現在地:(55)淀(の少し先)
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:21.6km
今回歩いた歩数:32,744歩

残り宿場:3/58 ※「58」は高麗橋を含めた数
残り距離:37.1km/546.3km

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