東海道五十三次の旅(2周目)・その25(舞坂~新居)

2024年4月11日木曜日

[歩]東海道五十三次・2周目

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※前回の日記はコチラ

(1周目の同区間の日記はコチラ

東海道五十三次の旅(2周目)・その25
((30)舞坂(まいさか)~(31)新居(あらい))
晴れ

前回の旅で舞坂宿(まいさかしゅく)の入口まで来ました。
今回は舞坂宿内を進み、浜名湖(はまなこ)を通って新居宿(あらいしゅく)の入口まで向かいます。
JR舞阪駅(まいさかえき)から松並木入口まで進み、再開!
松並木を進んで行きます
舞坂宿碑
舞坂橋跡
松並木出口にある浪小僧像
遠州七不思議の一つで、海が荒れそうなときに太鼓を叩いて知らせてくれたのだとか

見付石垣
ここからが舞坂宿内です


第30宿場・舞坂宿に入ります。
舞坂宿と次の新居宿の間は、昔は渡船で結ばれていました。
その東側の宿場として当時は賑わいました。
舞坂宿一里塚
江戸から68番目の一里塚
両側に石碑があります

本陣跡
脇本陣茗荷屋跡
中は一般公開されています

南雁木跡
舞坂には南雁木、本雁木、北雁木の3つの船着き場があり、この南雁木は主に庶民が使っていたそうです

本雁木跡
こちらは武家が使っていたそうです

北雁木跡
復元されていて当時を偲ばせます
こちらは大名が使っていたそうです


昔はここから新居宿まで船で行けました。
現在は船では行けませんが、道路と橋がつながっているので歩いて新居宿まで行けます。
ここから新居宿までの間は当時を偲ぶようなものはほとんど残っていません。
弁天橋と近くにある常夜灯
弁天橋から見た浜名湖
広大な湖が広がっています

弁天神社
渡し船の安全を願って建てられたそうです

弁天神社境内にある松島十湖(写真上)、茅原崋山(写真下)の句碑
同じく弁天神社境内にある正岡子規の句碑
「天の川 濱名の橋の 十文字」と刻まれています
ちなみに明治28(1895)年の句なので、その頃は渡船ではなく既に東海道本線が開通しています

JR弁天島駅(べんてんじまえき)の近くから浜名湖のほうに行ってみます
鳥居が真正面に見えます
ちなみにこの鳥居は単なるオブジェで、どこかの神社の鳥居ではないそうです

近くにある種田山頭火句碑
「春の海の どこからともなく 漕いでくる」と刻まれています

中浜名橋
歩行者はその右側にある専用橋を渡ります
中浜名橋を渡るといよいよ静岡県最後の市、湖西市(こさいし)に入ります
西浜名橋
こちらも右側の専用橋を渡ります

ひたすら歩いてJR新居町駅(あらいまちえき)に到着
新居町駅から少し進んだところにある種田山頭火句碑
「水のまんなかの道がまっすぐ」と刻まれています


新居町駅まで来ました。
この先、愛知県に入るまで旧東海道と東海道本線は離れた場所を通るので、今日はここで中断することにしました。

次回はいよいよ愛知県入りになります。
静岡県長かった…(^^;

現在地:(31)新居
今回進んだ宿場:1
今回進んだ距離:5.9km
今回歩いた歩数:15,633歩

残り宿場:23/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:223.1km/492.1km

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