東海道五十三次の旅・その11(由比~江尻)

2011年5月2日月曜日

[歩]東海道五十三次

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東海道五十三次の旅・その11
((16)由比(ゆい)~(17)興津(おきつ)~(18)江尻(えじり))
晴れ

#一部環境で本文が文字化けするかも知れません。
「埵」は「土(つちへん)」に「垂」で、「薩埵峠」で「さったとうげ」と読みます。


ゴールデンウィークの東海道五十三次の旅も今日から後半戦。
昨日は雨の中歩いて散々でしたが、今日からはまた晴れの予報。
気持ちよく歩けそうです。

…が、実は今回の旅、日焼け対策を全くしていません(^^;
肌がヒリヒリして来たのでさすがに今日日焼け止めを買いましたが、時既に遅し。。
額の部分は既に皮が剥がれかけていて、鼻はトナカイ状態。。
メガネの部分だけ焼けていないのでパンダ状態です└|゚ロ゚;|┘
今日は気温が高くなりそうなので、しっかり対策して向かいます。

今日の見所は薩埵峠(さったとうげ)。
東海道中で一番富士山が綺麗に見られる場所です。
絶景を見るべく今日も出発です!
昨日のゴール地点だった由比(ゆい)駅からスタート!
細道を入り、寺尾(てらお)の集落を歩きます
昔ながらの建物が並んでいます
行商車が止まっていました
小池邸
江戸時代、寺尾村を名主を務めた小池文右衛門の母屋です

左から東海道線、国道1号、東名高速
八阪神社
ものすごい石段です└|゚ロ゚;|┘

倉沢(くらさわ)の集落
間の宿・西倉沢の本陣跡
間の宿 脇本陣
明治天皇御小休所跡

薩埵峠の登り口にある望嶽亭藤屋と西倉沢一里塚跡碑
一里塚は江戸から40番目です

薩埵峠の上り坂へ
かなりの急坂です

薩埵峠を行くハイカーが多かったです
よく写真にも使われるポイント
東海道線・国道1号を東名高速がまたぐところです
ここが破壊されたら陸路は新幹線だけになってしまいます。。

真ん中に見える建物は東名高速の由比PA(上り線)
だいぶ登ってきました


そして薩埵峠に到着。
後ろを振り向いて富士山を見ようとすると…
かすかにしか見えません└|゚ロ゚;|┘
(中央の黒い山の上が富士山です)
富士山辺りが曇っていた可能性もありますが、どちらかというとこの日降った黄砂のせいかも…


吉原の左富士と同様、ハッキリとは見えませんでした。
「東海道から富士山を見るならここ!」というポイントだっただけに残念。。
ホントは左の写真のようにハッキリ見えるハズなんですが、私が見たのは右の写真…

この区間(由比~興津(おきつ))は東海道線や国道1号、東名高速では海沿いの道を行くので峠とは無縁の区間です。
それが旧東海道では峠越えをする区間ということで、今までにない由比の絶景を見ることができました。
富士山はハッキリとは見えませんでしたが、綺麗な海(駿河湾)を見ることができて充実感はありました。
晴れて海が綺麗でした

薩埵峠を越えた後は下り。。
これまた急な坂で、こちらはクルマは通れず歩行者だけです。
こちらの坂は急坂(+階段)なので、スキーのストックやゴルフのシャフトを再利用した杖が登り口と頂上に用意されています
階段を下りていきます
登りはこんな感じ
登り口まで到着
ここからは普通の道に戻ります

まっすぐな道
昼間過ぎで気温が高かった時間帯だったので少々ツラかったです

この辺りにも常夜灯がいくつか残っています
興津川を渡るための川越遺跡の説明板
女体の森!?
ムフフ…と思いながら先に進んでみましたが、「女神」が祀られているから「女体の森」なんだそうで…

旧東海道と国道52号の交差点近くにある身延山道標
興津一里塚跡
興津宿東本陣跡
ここからが興津宿です

水口屋
ここが「脇本陣水口屋跡」なんですが、鈴与グループの研修センターになっており、中に入れませんでした…

仕方ないので門の隙間から石標を撮影(^^;
興津宿内には昔の宿場を示すオブジェがいくつか置かれていました
清見寺(せいけんじ)
清見寺境内にある臥龍梅(がりゅうばい)
徳川家康が接ぎ木したそうです
ちなみに「臥龍」とは三国志演義から来た言葉だそうです

同じく清見寺境内にある「秋晴れや 三保の松原 一文字」の碑
清見関跡碑と傍示杭礎石
皇太子殿下御海水浴碑
正岡子規句碑
興津坐漁荘(ざぎょそう)
西園寺公望の晩年の別荘です

東光寺
困難に立ち向かいここまで来ました…

今日の目的地、江尻宿(えじりじゅく)の近くまで来ました。
江尻とは、つまり現在の静岡市清水区です。
国道1号から分岐し、旧東海道は右を進みます
上の写真の分岐点にある細井乃松原(ほそいのまつばら)
高札場(こうさつば)跡
江尻宿東木戸(ひがしきど)跡
ここからが江尻宿です

清水駅まで到着

江尻宿は、駿河国では府中宿に次ぎ2番目に大きな宿場ですが、今では当時の面影を残すものはほとんどありません。
地名も「江尻」よりも「清水」のほうが有名ですし。。
ちなみに「府中」とは東京や広島ではなく(w)、静岡市の中心部・駿府城(すんぷじょう)の辺りです。
これまた「府中」という地名より「静岡(市)」のほうが有名です。。

東海道五十三次の中で特に風光明媚なポイントの薩埵峠から富士山がかすかにしか見えなかったのは残念でしたが、峠から眺める駿河湾は綺麗でした。
(黄砂さえなければバッチリだったんですが…)

今回の旅も残り2日。
藤枝まで確実に近づいてきました。
組長の命令ならば従わねば(w

現在地:(18)江尻
今回進んだ宿場:2
今回進んだ距離:13.2km

残り宿場:36/54 ※「54」は三条大橋を含めた数
残り距離:328.3km/492.1km

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